京都祇園祭山鉾巡行33基写真集は2008年(平成20年)以降に撮影した写真を集めて作りました。

祇園祭写真

全33頁 祇園祭山鉾巡行写真集(山鉾33基全部の写真)

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山鉾33基、平成29(2017)年巡行順

1、長刀鉾(なぎなたほこ)

 朝9時に四条烏丸から「くじ取らず」の長刀鉾が巡行の先頭で四条通を東に向かいます。生稚児が乗る唯一の鉾で、出発後に「しめ縄切り」を行います。長刀鉾の鉾先は八坂神社に向かないように取り付けられています。

2、占出山(うらでやま)

 神功皇后が鮎の釣れ具合で戦勝を占った故事によります。神功皇后は安産の神様として祀られています。前懸と胴懸には日本三景が描かれています。

3、孟宗山(もうそうやま)

 筍山とも呼ばれます。中国の史話「二十四孝」より孟宗の物語に由来します。孟宗が雪の中で母の好物の筍を掘る情景が山の上で再現されています。

4、霰天神山(あられてんじんやま)

 室町時代の永正年間(1504~1521)に京都に大火があった時、急に霰と天神像が降ってきて火事が消えました。その天神様がお祀りされています。

5、函谷鉾(かんこほこ)

 中国の戦国時代に孟嘗君(もうしょうくん)が部下による鶏の鳴き声の真似によって函谷関を脱出できた故事によります。前懸は重要文化財の復元新調です。

6、伯牙山(はくがやま)

 中国は周の時代、琴の名人伯牙が友人鐘子期の死を聞き嘆き、その琴の弦を斧で断ったという故事によります。前懸は慶寿裂の逸品を掛けています。

7、四条傘鉾(しじょうかさほこ)

 応仁の乱以前の傘鉾の原型が再現されています。傘の上に御幣と若松を立てています。赤熊を被った棒振りなど8人1組の子供達が踊りを見せてくれます。

8、芦刈山(あしかりやま)

 謡曲「芦刈」の物語に由来して作られた山で、御神体人形は難波の浦で芦を刈る老翁の姿です。御神体の古衣装は国の重要文化財に指定されています。

9、月鉾(つきほこ)

 円山応挙によって描かれた屋根裏の草花図や、左甚五郎作といわれる破風の兎、軒桁、四本柱の飾金具等も逸品で動く美術館とも言われています。

10、山伏山(やまぶしやま)

 御神体の浄蔵貴所は八坂の塔が傾いた時に法力によってなおしたという逸話が残っています。その浄蔵貴所が山伏姿で大峰入りする姿をあらわしたいます。

11、油天神山(あぶらてんじんやま)

 山の上の社殿に天神様がお祀りされており、会所が油小路通にあるので油天神山の名で呼ばれています。社殿の前に朱塗りの鳥居が立っています。

12、太子山(たいしやま)

 聖徳太子が四天王寺建立に当り、自ら山中に入って杉を切り出し六角堂を建てた伝説によります。山の上に杉の真木を立て、聖徳太子をお祀りしています。

13、鶏鉾(にわとりほこ)

 中国は堯の時代に平和で使われなくなった訴訟用の太鼓に鶏が巣を作った故事によります。ベルギー製の重要文化財の見送を復元新調して巡行します。

14、木賊山(とくさやま)

 子供を人にさらわれて、一人信濃国伏屋の里で木賊刈をする老翁が我が子と再会する、世阿弥作の謡曲「木賊」を題材にしています。

15、綾傘鉾(あやがさほこ)

 傘鉾の一つで、大きな傘の上には金の卵をつかんだ鶏が乗っています。棒振り囃子は疫病退散の意味があるそうです。可愛い稚児が行列に参加します。

16、蟷螂山(とうろうやま)

 「かまきり山」とも呼ばれます。かまきりが羽を広げ、御所車の車輪が回転するなど、祇園祭の山鉾では唯一の「からくり」がほどこされています。

17、菊水鉾(きくすいほこ)

 町内にあった菊水井戸にちなんで名付けられています。唐破風造りの屋根が特徴で、昭和27年に88年ぶりに新しく作られた昭和の鉾です。

18、白楽天山(はくらくてんやま)

 山の上は唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う場面です。前懸は16世紀にベルギーで織られたタペストリーでトロイ城陥落が描かれています。

19、郭巨山(かっきょやま)

 中国の史話「二十四孝」の一人、貧しくて母を養えない郭巨が我が子を土に埋めようとして黄金の釜を掘りあて、母に孝養をつくしたという故事によります。

20、保昌山(ほうしょうやま)

 平井保昌が泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折って恋を実らせた物語をあらわしています。円山応挙の下絵による前懸と胴懸が逸品です。

21、放下鉾(ほうかほこ)

 真木の天主座に放下僧が祀られ、鉾頭の日、月、星の三つの光が下界を照らしています。稚児人形が人形方に操られて稚児舞をするのが特徴です。

22、岩戸山(いわとやま)

 日本書紀などに記されている天照大神の岩戸隠れの神話に由来する曳山で、天照大神、手力雄尊を安置し、大屋根の上に伊弉諾尊を乗せています。

23、船鉾(ふねほこ)

 くじ取らずで先祭行列の最後を飾ります。神功皇后の新羅出兵の説話に取材し、鉾全体を船の形にしています。安産の神にあやかり岩田帯が授与されます。

 

後祭 1、橋弁慶山(はしべんけいやま)

 謡曲「橋弁慶」から取材し、牛若丸と弁慶が五条の橋の上で戦う姿を再現しています。永禄6年(1563)の銘のある牛若丸は足駄の金具1本で立っています。

後祭 2、北観音山(きたかんのんやま)

 山には楊柳観音像と韋駄天像がお祀りされています。飾金具などの豪華な装飾品を所蔵しています。後祭行列の先頭を行く山でしたが平成24年から巡行順が変わりました。

後祭 3、鯉山(こいやま)

 中国の「登龍門」の語源の逸話で、鯉が龍門の滝をのぼり龍になる勇姿をあらわしています。前懸、胴懸、見送等は16世紀西洋の毛綴で重要文化財です。

後祭 4、役行者山(えんのぎょうじゃやま)

 修験道の祖役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋を架けたという伝承を題材にしています。役行者、葛城神、一言主神の3体が祀られています。

後祭 5、八幡山(はちまんやま)

 町内に祀られている八幡宮を勧請した総金箔の社殿が山の上に置かれています。鳥居の上で向き合う2羽の鳩は左甚五郎の作と伝えられています。

後祭 6、南観音山(みなみかんのんやま)

 「下り観音山」とも呼ばれています。楊柳観音像と善財童子像お祀りし、諸病を防ぐ大柳の枝を差しています。後祭行列の最後を飾る山でしたが平成24年から巡行順が変わりました。

後祭 7、鈴鹿山(すずかやま)

 伊勢の国の鈴鹿山で山道を行く人々を苦しめていた悪鬼を退治した鈴鹿権現を題材にした山です。鈴鹿権現「瀬織津姫命」は女人の姿で祀られています。

後祭 8、浄妙山(じょうみょうやま)

 平家物語の宇治川の合戦で、一来法師が三井寺の僧兵筒井浄妙に「悪しう候、浄妙坊」と声をかけ飛び越える一瞬を見事な人形組で再現しています。

後祭 9、黒主山(くろぬしやま)

 寛政元年(1789)の銘を持つ御神体は、六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿で、謡曲「志賀」を題材にしています。

後祭 10、大船鉾(おおふねほこ)

 幕末の蛤御門の変で焼失してから巡行を休んでいましたが、平成26年からの巡行再開に向けて準備が進められて来ました。

▼下のリンクで山鉾全33基の大きな写真がご覧いただけます。▼

下の5枚の写真は御池通新町にて平成23年と平成24年に撮影しました。
長刀鉾画像1
▲多くの曳き手に曳かれた長刀鉾が近ずいてきました。

長刀鉾画像2
▲長刀鉾を飾る豪華な懸装品は美術的に価値のあるものばかりです。

長刀鉾画像3
▲今では生稚児が乗る鉾は長刀鉾だけとなりました。

長刀鉾画像4
▲稚児は強力に担がれて鉾を降ります。

長刀鉾画像5
▲稚児が降りた長刀鉾は新町通に向けて辻廻しをします。

 

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