国家安康の鐘、方広寺鐘銘事件 高さ4.2メートルの大きな梵鐘の銘文の一部に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれていたのが家康の怒りに触れ、その後の方広寺と豊臣家の数奇な運命が始まるのはあまりにも有名な歴史の出来事です。「国家安康」「君臣豊楽」を「家康の名を引き裂いて呪詛(じゅそ)するもの」 といいがかりをつけたのです。それが大坂冬の陣へとつながりました。
 今はすっかり小さくなってしまった境内に、大坂の陣の引き金となった「国家安康」の梵鐘が往時をしのばせています。梵鐘に刻まれている国家安康 君臣豊楽の文字は白で縁取りされていて容易に確認できます。この梵鐘は国の重要文化財に指定されています。

方広寺、京の大仏 豊臣秀吉が木造毘盧遮那仏坐像(びるしゃなぶつ)を安置したのが方広寺の創建で文禄4年(1595年)のことでした。しかし不運なことに創建の翌年の大地震で堂宇ともども全滅しました。その後秀吉の子、秀頼が慶長17年(1612年)に再興に着手し、奈良の大仏よりも大きい金銅製の高さ6丈3尺(約19メートル)の大仏を安置しました。方広寺はその後も寛文2年(1662年)の震災と数度の火災に襲われます。天保14年(1843年)に木造の大仏が作られ、「京の大仏」と呼ばれて親しまれていましたが、これも昭和48年(1973年)に焼失しました。本堂・大黒天堂は拝観料200円で拝観できます。

太閤石垣 方広寺と隣の豊国神社(とよくにじんじゃ)とを繋ぐ石垣(寺域の西側、大和大路通の東側)は秀吉にゆかりのある巨石の石垣で、寄進した諸将の家紋なども確認できます。境内の西北の隅に加賀藩の前田候が寄進した「泣石」と呼ばれる巨石が置かれています。

方広寺の南隣の豊臣秀吉を祀る豊国神社の写真のページもご覧ください。

方広寺の宗派 天台宗
方広寺の所在地 京都市東山区正面通大和大路東入る茶屋町527-2
方広寺の拝観時間 午前9時より午後4時まで
方広寺の境内拝観自由 (本堂・大黒天堂の拝観は200円)
方広寺への公共交通機関
 市バス「博物館三十三間堂前」下車、徒歩約3分
(京都駅前より市バス100系統、206系統、208系統に乗車)

 
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京都お寺方広寺1
▲国家安康 君臣豊樂の文字が刻まれている梵鐘

京都お寺方広寺2
▲鐘楼には重要文化財の梵鐘が吊されています。

京都お寺方広寺3
▲方広寺本堂

京都お寺方広寺4
▲巨石が並ぶ太閤石垣、泣石の白い線は加賀藩の涙の跡といわれています。