京都と吉野に二人の天皇が存在して戦いがくりかえされた南北朝時代が収束して5年後の応永4年(1397)に、2年前に室町幕府第3代将軍をその子義持にゆずり、職を終えた足利義満が西園寺家の北山荘を譲り受けて、ここに金閣を中心とする壮大な別荘の北山殿を造り上げました。
応永15年(1408)に足利義満が亡くなり、夢窓国師(むそうこくし)を招いて禅寺を開山しました。鹿苑寺の名は足利義満の法号の鹿苑院殿から2字を取ったものです。
鏡湖池に影を落とす美しい舎利殿金閣は昭和25年(1950)に放火により焼失し、今に見られる金閣は昭和30年(1955)に再建されたもので、その後の昭和62年(1987)に更に金箔の張替え等が行われました。
鏡湖池から龍門の瀧、安民沢に立つ白蛇の塚等を眺めて坂を上ると夕佳亭(せっかてい)と名付けられた茶室が建っています。夕佳亭の名は「夕日に映える金閣が佳い」の意味が込められています。
夕佳亭は寛永元年(1624)に後水尾上皇を迎えるにあたって鳳林承章の依頼で茶道家の金森飛騨守宗和候が建てた茶室です。
南天の床柱と萩の違棚のある3畳の茶室で屋根は茅葺の素朴なたたずまいの建物です。
夕佳亭は明治時代に再建したものを更に平成9年に解体修理がなされています。
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鹿苑寺 夕佳亭の由緒
▼下の文章は鹿苑寺の夕佳亭に掲示されている由緒書(下の写真)を書き写しています。
茶室「夕佳亭」
金森飛騨守宗和候の好みで
後水尾天皇献茶の聖跡
現代のものは明治七年の再建
中央床柱に南天の古木を用い
右手に萩の違い棚(萩の木の
根の方と枝先とを交互に組合せて
中央に鶯宿梅を配す)を設ける古今の名席といわれる
茶室の手洗鉢は義満公伝来
北山鹿苑寺
▲上は夕佳亭に掲示されている由緒説明板(下の写真)の文章を再録しています。