船鉾はくじ取らずで先祭の最後尾を巡行します。

 船首を金色の鷁(げき)が左右に羽を広げ、勇壮な雰囲気で神功皇后が出陣します。

 妊娠中に出陣して戦勝し、皇子を生んだ神功皇后にあやかり、巡行後に神像に巻かれていた岩田帯が安産のお守りとして妊婦に授与されます。

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船鉾の説明

▼下の文は船鉾の鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

船鉾(ふねほこ)

 神功皇后(じんぐうこうごう)をめぐる説話に由来する。鉾全体を船の型にし、舳先(へさき 船首)には金色の鷁(げき 伝説の鳥)、艫(とも 船尾)には黒漆塗螺鈿(くろうるしぬりらでん)の飛龍文様(ひりゅうもんよう)の舵(かじ)をつけ、船端には朱漆塗の高欄こうらん)をめぐらし、唐破風入母屋(からはふいりもや)造りの屋根からは紅白の長旒(ちょうりゅう)、吹流(ふきなが)しをひるがえす。
 鉾の上には皇后と陪従(ばいじゅう)する磯良(いそら)・住吉(すみよし)・鹿島(かしま)の三神像を安置する。主神 神功皇后は神面をつけ緋縅(ひおどし)の軍装、その後に鹿島明神、舳先には海神安曇磯良(あずみのいそら)が竜宮の満干珠(みちひるたま)を住吉明神に捧げている。文安年間(一四四四~一四四八)作とされる皇后の神面は古来より安産に奇瑞(きずい 御利益)があるといわれ、宮中でも尊敬され、明治天皇のご降誕の時には宮中にも参内(さんだい)している。皇后の神像は岩田帯(いわたおび)をたくさん巻いて巡行するが、それは祭の後、妊婦に授与され安産のお守りとされている。
 鷁は宝暦年間(一七五一~一七六四)長谷川若狭の作で、船尾の舵は寛政四年(一七九二)に造られた。水引(みずひき)の雲龍図肉入刺繍(うんりゅうずにくいりししゅう)の下絵は西村楠亭(にしむらなんてい 一七七五~一八三四)の筆により、また鹿島明神の持つ長刀(なぎなた)は、寛文年間(一六六一~一六七二)の井上和泉守真海(いのうえいずみのかみしんかい)作の逸品である。
             京 都 市
▲上の文は船鉾の鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。