南観音山は北観音山と同じく楊柳観音をお祀りする曳山です。

 巡行時には右後ろに柳の大枝を下げています。諸病を防ぐといわれるこの柳は巡行が終わった後に授与されます。授与された柳の葉を持ち帰り、門口に飾ると無病息災のご利益がいただけるようです。

 四隅に吊り下げている大きな薬玉は菊竹梅蘭の四君子を木彫りしたものです。

 南観音山のくわしい写真と解説は南観音山をクリックするとご覧いただけます。

南観音山の説明

▼下の文は南観音山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

南観音山(みなみかんのんやま)

 「下(くだ)り観音山」ともいわれ、後祭(あとまつり)の最後を行く曳山(ひきやま)、現在は巡行全体の最後を務める。善財童子(ぜんざいどうじ)が南へ南へと五十三人の聖者を順に訪ねてそれぞれの教えを乞うという。華厳経(けごんきょう)の菩薩道(ぼさつどう)修行の説話は、東海道五十三次や指南の語源として知られるが、二十八番目の観音は美しい南海の畔に住み、一切の苦悩からの衆生救済を教えたという。本尊の楊柳観音(ようりゅうかんのん)像は悠然と瞑想する鎌倉時代の坐像だが、天明の大火(一七八八年)で頭胸部を残して焼失、他は童子像とともに江戸時代の木彫彩色像。
 巡行には柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉(くすだま)を付け、諸病を防ぐといわれる。天水引(てんみずひき)は塩川文鱗(しおかわぶんりん)下絵の「四神の図」で、近年復元新調、下水引(したみずひき)は加山又造(またぞう)の原画による飛天泰楽。見送(みおくり)は中国明代の綴織(つづれおり)であったが、昭和六十三年に加山又造の「龍王渡海図」を新調して使用。他に、異无須織(いむすおり)といわれる十七世紀製作の華麗なペルシャ絹絨毯(じゅうたん)の旧前懸(まえかけ)や日本最古 (一六八四年)のインド更紗(さらさ)の旧打敷(うちじき)や山水花 鳥文様の旧前懸等、逸品を保存している。
             京 都 市
▲上の文は南観音山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。