元治元年(1864)7月19日の蛤御門の変で焼失した大船鉾は平成26年(2014)に150年振りに復活して巡行しました。
大船鉾は7月24日の後祭の最後尾を豪華に飾ります。
蛤御門の変の大火で鉾は焼失しましたが、別に保管されていた懸装品等は焼失を逃れ、御神体、御神面などが京都市有形民俗文化財に指定されています。
大船鉾の説明
▼下の文は大船鉾の鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。
大船鉾(おおふねほこ)
神功皇后の朝鮮出兵伝説にちなみ、鉾全体で船型をかたどり、後祭りの最終を飾る鉾である。屋型中央部に神功皇后、屋形前部に副将住吉明神(すみよしみょうじん)、艫部(ともぶ)に操舵手鹿島明神(そうだしゅかじまみょうじん)、舳先に龍神安曇磯良(りゅうじんあづみいそら)四神を安置する。舳先の飾り物として文化十年(一八一三)製の大金幣(だいきんぺい)と、文化元年(一八〇四)製の龍頭(りゅうず)を隔年使用していたが、「蛤御門(はまぐりごもん)の変」の大火(一八六四)により龍頭を焼失、大金幣のみ現存する。古来、四条町は南北に分かれており、交代でこの鉾を出していた。龍頭は北四条町、大金幣は南四条町の所有で各々担当の年に舳先を飾っていたが、明治に入り南北が統合され現在に至る。
前懸(まえかけ)・後懸(うしろかけ)は紅地雲龍青海文綴織(べにじうんりゅうせいかいもんつづれおり)で一七世紀末~一八世紀の作、他に文化文政年間(一八〇四~一八二九)に作られた天水引(てんみずひき)・下水引(したみずひき)・大楫(おおかじ)などを所蔵する。胴幕に使われている羅紗(らしゃ)は一六世紀ポルトガル製であると伝わる。
尚、この鉾は「蛤御門の変」の大火にて懸装品類(けそうひんるい)を除き全てを焼失、以来一五〇年間休み鉾となっていたが、平成二六年に復興を遂げた。
京 都 市
▲上の文は大船鉾の鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。