蟷螂山は御所車の屋根の上に蟷螂(かまきり)を乗せています。

 蟷螂山は巡行中に屋根の上の蟷螂(かまきり)が羽を広げたり、御所車の車輪が回る「からくり」が仕掛けられています。この「からくり」が施されているの数あるは祇園祭の山鉾で蟷螂山だけです。

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蟷螂山の説明

▼下の文は蟷螂山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

蟷螂山(とうろうやま)

 蟷螂山は、「蟷螂(とうろう)の斧を以て隆車の隧(わだち)を禦(ふせ)がんと欲す」という中国の故事にちなんでいる。その起源は南北朝時代で、足利義詮(よしあきら)軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(たかすけ 一二九二~一三五二)の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇(ちんういろうたいねんそうき)が卿の死後二十五年目の永和二年(一三七六)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。
 その後、蟷螂山は再三の戦火に遭うが、そのつど再興され、巡行を続けてきたのであるが、元治の大火(一八六四)でその大部分を消失してしまい、昭和五十六年、百十七年ぶりに再興された。
 蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。前懸(まえかけ)、胴懸(どうかけ)、見送(みおくり)は共に羽田登喜男(はだときお)作の友禅で、瑞苑浮遊図(ずいえんふゆうず)などがある。
             京 都 市
▲上の文は蟷螂山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。