山の上には朱塗りの鳥居が立ち、鳥居の扁額には妙法院堯然法親王の書と伝えられる天神山の文字があります。

  全体に金色に塗られた社殿に天神様がお祀りされており、社殿の後ろには真松と並んで紅梅の枝を立てています。


 社殿にお祀りされている天神様は高さが約15センチの座像です。

油天神山の由緒

▼下の文は油天神山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

油天神山
(あぶらてんじんやま)

 古くから町内(風早町(かざはやちょう)に祀られていた天神(菅原道真公)を勧請(かんじょう)して作られた山で、油小路通にあるところから、「油天神山(あぶらてんじんやま)」とも、また勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山(うしてんじんやま)」とも呼ばれる。
 山は正面に朱の鳥居を立て、金箔を貼った社殿には、もと風早家に伝来し後に町内の祠(ほこら)に祀っていた天神像(寛永七年(一六三〇)作)を安置する。真木(しんぎ)の松の他に、紅梅の枝を華やかに立て鈴をつけている。水引(みずひき)はパリのクリュニイ博物館蔵のタピストリー「貴婦人と一角獣」着想を得た図案で、平成十八年に「翔鷹千花図」を新調、前懸(まえかけ)は雲龍文様の襦子地錦(しゅすじのにしき)、宵飾(よいかざ)りの胴懸(どうかけ)は十九世紀のカザフ絨毯(じゅうたん)、見送(みおくり)は毛綴(けつづれ)の宮廷宴遊図であったが、平成二年梅原龍三郎(うめはらりゅうさぶろう)原画の「朝陽図」綴織(つづれおり)を新調、胴懸(どうかけ)は左右共に前田青邨(まえだせいそん)による原画で、平成十二年、十三年新調の「紅白梅」を用いる。欄縁(らんぶち)は、前部だけ凹形に切り込まれて、社殿をはっきり見せたもので、天保四年(一八三三)製作の牛と梅の錺(かざり)金具がついている。旧懸装品(きゅうけんそうひん)として官服直しの雲龍図三枚が大切に保存されている。
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▲上の文は油天神山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。