白楽天山の山の上は唐の詩人白楽天が禅僧の道林禅師に仏法の大意を問う場面です。白楽天は白居易(はくきょい)の名前もあり、西暦772年に生まれて846年に亡くなった中国の唐の時代の詩人です。

 3枚続きの前懸の中央は16世紀にベルギーで織られたタペストリーでトロイ城が陥落してアイネイアスがトロイヤから脱出して父を救出する場面が描かれています。

白楽天山の由緒

▼下の文は白楽天山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

白楽天山
(はくらくてんやま)

 唐の詩人、白楽天が道林禅師(どうりんぜんし)に仏法の大意を問うところをあらわしている。道林禅師は、緞子(どんす)地の紫衣(しえ)を着け、藍色羅紗(あいいろらしゃ)の帽子をかぶり、手に数珠(じゅず)と払子(ほっす)を持ち、松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣装(かりぎぬ)に唐冠をかぶり笏(しゃく)を持って立っている。
 旧水引(みずひき)は明治五年の調製で孔雀や麒麟(きりん)などの禽獣(きんじゅう)を金絲(きんし)で繍(ぬ)いつめた刺繍(ししゅう)、また前懸(まえかけ)は文化五年(一八〇八)に新調された紺地雲龍文様刺繍裂(うんりゅうもんようししゅうぎれ)と、万延元年(一八六〇)蟷螂山(とうろうやま)より買受けた毛綴(けつづれ)の三点継(さんてんつなぎ)もある。この毛綴はギリシャ神話を題材とした柄で、トロイ城陥落の時、アイネイアスが父を救出する場面を描いた優品であり、大津祭(滋賀県)の月宮殿山(げっきゅうでんざん)の見送(みおくり)と双幅(そうふく)である。見送はかって麒麟龍鳳凰文様の綴錦(つづれにしき)であったが、昭和二十八年より山鹿清華(やまがせいか)作の北京万寿山図の毛綴錦のものを用いた。また胴懸(どうかけ)及び水引として昭和五十三年町内長老がフランスから直接買付けた十七世紀製作の毛綴を用いている。
 旧後懸(うしろかけ)のインド更紗(さらさ)(十九世紀)や、旧見送の裏面で町住者、露木露珍(石門)が描いた油絵 山水図(文化四年)などは、大切に保存されている。
             京 都 市
▲上の文は白楽天山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。