鈴鹿山の由緒は伊勢の国の鈴鹿山で山道を行く人々を苦しめていた悪鬼を退治した鈴鹿権現を題材にした山です。
 鈴鹿権現「瀬織津姫命」は女人の姿で祀られています。

鈴鹿山の説明

▼下の文は鈴鹿山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

鈴鹿山(すずかやま)

 鈴鹿権現(すずかごんげん)をまつる。 東海道の難所である伊勢国(いせのくに)鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治したという鈴鹿権現(瀬織津姫神(せおりつひめのかみ))を、金の烏帽子(えぼし)をかぶり、手に大長刀を持つ女人の姿であらわす。 山洞には鬼首を示す赭熊(しゃぐま)を掛け、この山に限って松には鈴鹿関(すずかのせき)をあらわす山・木立・鳥居裏面に宝珠(ほうしゅ)を描いた絵馬がつけられ、盗難除けの護符(ごふ)として珍重される。
 前懸(まえかけ)は平成元年新調の「黄砂の道」と称する駱駝(らくだ)の図綴織(つづれおり)。 胴懸(どうかけ)は平成十一年新調の「桜図」と平成十三年新調の「紅葉図」で、共に今井俊満(としみつ) 原画の綴織。 見送(みおくり)は文化十三年(一八一六)購入の中国明代の雲龍文様、天啓二年(一六二二)の年記を持つ紺紙金泥文字、明治三十五年製作の牡丹鳳凰文様総刺繍を伝えるが、昭和五十七年より皆川月華(みながわげっか)作の染彩ハワイの蘭花を用いる。欄縁(らんぶち)金具は、山鹿清華(やまがせいか)下絵の四季花鳥文様、旧胴懸の中国清朝の綴織は百仙人襤褸錦(ひゃくせんにんつづれにしき)、屏風綴幔幕(びょうぶつづれまんまく)と呼ばれ大切に保存されている。
             京 都 市
▲上の文は鈴鹿山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。