伯牙山の由来は中国の紀元前1000年頃の周の時代に琴の名人と謡われた伯牙が友人の鐘子期(しょうしき)の死を聞いて嘆き入りました。そして友人鐘子期の琴の弦を斧で断ったという故事によります。

 前懸は慶寿裂(けいじゅぎれ)の逸品を掛けています

伯牙山の由緒

▼下の文は伯牙山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

伯牙山(はくがやま)

 別名を「琴破山(ことわりやま)」とも呼ばれる。山の御身体(人形)は中国の周の時代、琴の名人、伯牙(はくが)とその友人 鐘子期(しょうしき)との物語に取材し、伯牙が鐘子期の死を聞いてその琴の弦を断ったという故事をあらわしている。
 人形は手に斧を持ち、前に琴が置かれている。人形には金勝亭賽堰子(きんしょうていさいえんし)の墨書銘があり、天明(一七八一~一七八八)以降の作と考えられている。前懸(まえかけ)には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂(けいじゅぎれ)」をかけ、その下に龍文様の錦を用い、さらに人物図の押絵切付の水引(みずひき)があるが、近年復元新調品に替えている。胴懸(どうかけ)は花卉(かき)尾長鳥文様の綴錦(つづれにしき)で、見送(みおくり)には西陣の「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いている。また蝶型の角金具(すみかなぐ)は珍しい意匠である。
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▲上の文は伯牙山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。