東山区の清水八坂上町の法観寺に聳えて建つ高さが46メートルの五層の八坂の塔は東山のシンボルとなっています。その八坂の塔が傾いた時に修験僧の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が法力によって傾きを直したという逸話が残っています。浄蔵貴所が山伏姿で紀伊の大峰山へ向かう姿が御神体人形になっています。

 赤い傘の下に立つ浄蔵貴所は右手に斧を持ち、左手には数珠を持っています。腰には法螺貝を付けています。 

山伏山の説明

▼下の文は山伏山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

山伏山(やまぶしやま)

 この名は山に飾るご神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれる。
 昔、法観寺(ほうかんじ)の五重塔(八坂の塔)が傾いた時、法力(ほうりき)によってそれを直したという浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)とい う高名な修験者(山伏)の大峰入り(山伏達が修行のため、紀伊山地の山間部に入っていくこと)の姿をあらわしている。左手に刺高数珠(いらだかじゅず)、右手には斧を持ち、腰には法螺貝(ほらがい)をつけている。欄縁(らんぶち)金具は飛鶴、水引(みずひき)は機織(きしょく)図を描く綴錦(つづれにしき)、前懸(まえかけ)は雲龍文様の刺繍、胴懸(どうかけ)は花卉胡蝶文様(かきこちょうもんよう)の綴錦を用いている。見送(みおくり)は龍波濤文様(りゅうはとうもんよう)の綴錦で、平成十一年に復元された。
 巡行の数日前より聖護院の山伏達の巡拝があり、また八坂神社からの清祓(きよはらい)とともに六角堂から法印(ほういん)の祈禱(きとう)も行われ、神前に供える三宝も仏式の黒塗のものが用いられている。明治初年の神仏分離以前の神仏習合時代の姿をこの山にみることができる。
 明治三十五年には、元治の大火で焼失した菊水鉾(きくすいほこ)の旧懸装品や房類が寄贈され、中でも波濤(はとう) に龍文様絽刺(ろざし)の見送は官服直しのもので現在も大切に保存されている。
             京 都 市
▲上の文は山伏山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。