浄妙山は平家物語の宇治川の合戦で、一来法師が三井寺の僧兵筒井浄妙に「悪しう候、浄妙坊」と声をかけ飛び越える一瞬を見事な人形組で再現しています。

浄妙山の説明

▼下の文は浄妙山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

浄妙山
(じょうみょうやま)

 平家物語「橋合戦」に由来する山である。 治承四年(一一八〇)の宇治川での源平合戦に、源氏方で三井寺(みいでら)の僧兵筒井浄妙(つついじょうみょう)が橋桁を渡り奮戦していたところ、一来法師(いちらいほうし)が頭上を飛び越え、「悪(あ)しゅう候(そうろう)、御免(ごめん)あれ」と先陣を取ってしまったという、 その瞬間の情景を二体の御神体(人形)を組み合わせることにより表現している。黒漆塗の橋桁に刺さる数本の矢は激戦の様子を物語る。 この故事により「悪しゅう候山」とも呼ばれていた時期もある。
 水引(みずひき)は宇治川を表現する波濤(はとう)文様の彫刻、胴懸(どうかけ)はビロード織の「琴棋書画(きんきしょが)図」のほか、昭和五十八・五十九年製作の長谷川等伯原画の「柳橋水車図」などがある。 前懸(まえかけ)・後懸(うしろかけ)には平成十八・十九年に智積院(ちしゃくいん)所蔵の障壁画を原画として新調した長谷川等伯・久蔵(きゅうぞう)父子筆の「桜図」、「楓図」その他がある。 見送(みおくり)の「かがり織・雲龍文様」は当町の住人であった本山善右衛門(もとやまぜんえもん)の作である。 なお、浄妙坊着用の「黒韋威肩白胴丸(くろかわおどしかたしろどうまる)」は室町時代の作で、重要文化財に指定されている。
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▲上の文は浄妙山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。