郭巨山(かっきょやま)

郭巨山
 別名を釜掘山(かまほりやま)とも呼ばれ、古代中国の史話二十四孝の一人の郭巨(かくきょ)の話にちなんで造られています。

 漢の隆盧(りゅうろ)の人である郭巨は貧しく、妻と老母を養うのが精一杯という生活でした。

 産まれた子供が3才に成長して食べ盛りになると、孫のかわいさに老母は自分の食べ物を孫に分け与えるようになり痩せ細ってしまいました。

 考えた末に郭巨は「子は再び得られるも、親は得られず」と妻に語り、我が子を土に埋めて老母の食を減らさぬことを決意しました。

 郭巨が穴を掘っていると黄金の釜が地下より現れ、その中に「天、孝子郭巨に賜(たま)う」と書かれていました。

 天が郭巨の親を思う心を賞でて与えたもので、その釜は誰も奪い取れなかったといわれています。

御神体人形
 山に乗る郭巨と子供の御神体人形は一度焼損し、現在使われているものは寛政元年(1789)にヒノキ材の木彫で作られたものだそうです。

 郭巨は高さ160cm、童子は高さ105cmで金勝亭九右衛門利恭の作と説明書に書かれています。

 郭巨山は油紙を被せた日覆障子(ひおおいしょうじ)の屋根覆いをかけているのが他の山には無い特徴です。

前懸
 上村松篁下絵による綴織「秋草図」には萩や桔梗が描かれています。

胴懸
 上村松篁下絵による綴錦「花の汀図」と「春雪図」を掛けて巡行しています。

見送
 上村松篁下絵による綴織「都の春」には緋桃を背景に万葉美人が描かれています。

郭巨山の山鉾町
 京都市下京区四条通西洞院東入る郭巨山町