綾傘鉾(あやがさほこ)

綾傘鉾
 応仁1年(1467)から11年間続いた応仁の乱よりも前から継続されていた古い形の鉾で、洛中洛外図などには綾傘の長柄を人が捧げもって巡行する姿が描かれいるそうですが、江戸時代末期には小型の曳山に変えて巡行されていたようです。

 この曳山が元治元年(1864)7月18日に禁門の変により発生した元治の大火(げんじのたいか)の為に焼失したため巡行に参加できず、15年後の明治12年(1879)から明治17年(1884)の6年間は古い巡行の形を復活して歩きながら囃子を披露していました。

 綾傘鉾が大きな傘と棒ふりばやしの現在の形で巡行を復活したのは昭和54年(1979)からのことです。

 風流傘をそのまま棟上に立ててあり、鉾と名付けられていますが真木はありません。

 傘の上に御神体の金鶏像が載ったものと、2本の白幣と松の枝が立てられた2基の鉾が巡行に加わります。

 この2基の鉾を6人の可愛い稚児と棒振り囃子の行列が先導します。

棒振り囃子
 巡行の各所で披露される棒振り踊りは、赤熊(しゃぐま)を被り棒を持った踊り手が笛や太鼓に合わせて踊り、沿道の見物から拍手喝采を受けますが、これは疫病を祓う効能があるそうです。

傘の垂り(さがり)
 2基の鉾の垂りには法界寺(京都市伏見区日野)の阿弥陀堂の壁画をモチーフにしたといわれる「飛天の図」(この頁の下の写真)と森口華弘(人間国宝染色家)による「四季の花」とが美しく描かれています。

金鶏
 鉾の天蓋頭頂の鶏は木彫りに漆が塗られています。左足で立ち、曲げた右足で卵を掴んでいます。

綾傘鉾の鉾町
 京都市下京区綾小路通室町西入善長寺町