函谷鉾の鉾頭は22メートルの長い真木の先端の三角形が山を現し、その上に金属の三日月が光っています。

 真木のなかほどに取り付けられている「天王座(てんのうざ)」の孟嘗君とその下の雌雄の鶏が山中の闇と函谷関の物語を表現しています。

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函谷鉾の説明

▼下の文は函谷鉾の鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

函谷鉾(かんこほこ)

 鉾の名は中国の戦国時代、斉(せい)の国の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声によって「函谷関(かんこくかん)を脱出できたという故事にちなんで付けられている。鉾頭(ほこがしら)の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木(しんぎ)のなかほどの「天王座(てんのうざ)」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。
 屋根裏の金地彩色鶏鵜図(きんじさいしきけいあず)は今尾景年(いまおけいねん)(一八四五~一九二四)の筆による。重要文化財である旧前懸(まえかけ)(平成十八年復元新調)は、旧約聖書創世記の場面を描いた十六世紀末の毛綴(けつづれ)で宵山(よいやま)の期間は町家(ちょういえ)にて展示、水引(みずひき)は山鹿清華(やまがせいか)作の手織群鶏図(ておりぐんけいず)、胴懸(どうかけ)はモンゴルを含む中国近辺で製織された十六世紀の玉取獅子図(たまとりじしず)や虎に梅樹図の絨毯(じゅうたん)や、十七世紀の中東連花葉文様(ちゅうとうれんかようもよう)インド絨毯を用いていたが、現在はその復元新調品、見送(みおくり)には古く弘法大師筆(こうぼうだいしひつ)と伝えられる紺地金泥(こんちきんでい)の金剛界礼懺文(こんごうかいれいさいもん)と、天保年間にこれを模織した立派なものとがあるが、最近に皆川泰蔵(みながわたいぞう)作「エジプト天空図」を新調した。
 この鉾は天明(てんめい)の大火(一七八八)で焼失、五十年後の天保十年(一八三九)に再興され、それ以後「喜多丸(きたまる)」という稚児人形を用いる。
             京 都 市
▲上の文は函谷鉾の鉾町に掲示されていた京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。