役行者山は修験道の祖役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋を架けたという伝承を題材にしています。
 役行者山の山の上には役行者、葛城神、一言主神の3体が祀られています。

役行者山の由緒

▼下の文は役行者山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。

役行者山
(えんのぎょうじゃやま)

 役行者山は応仁の乱以前からの舁山(かきやま)で、御神体(人形)は修験道(しゅげんどう)の開祖、役小角(えんのおずぬ)、尊称「神変大菩薩役行者(しんぺんだいぼさつえんのぎょうじゃ)」と一言主神(ひとことぬしのかみ)と葛城神(かつらぎのかみ)の三神で、役行者が一言主神を使って葛城山と大峰山の間に橋を架けさせたという伝承を想起させる。
 正面に役行者が帽子(もうす)を被り袈裟(けさ)・掛絡(くわら)を纏(まと)い、経巻・錫杖(しゃくじょう)を手に祠(ほこら)に座し、葛城神は女神で手に輪宝(りんぽう)を、一言主神は鬼形で赤熊(しゃぐま)を被(かぶ)り斧(おの)を携える。水引(みずひきい)は綴錦(つづれにしき)の名手、西山勘七作の唐子遊図(からこあそびのず)、二番水引は萌黄(もえぎ)地龍紋図に正面に壽を織り出し、前懸(まえかけ)は岩牡丹胡蝶図(さわぼたんこちょうず)を中央に、左右に雲龍文様の三枚繋ぎ、胴懸(どうかけ)は真向龍(まむかいのりゅう)文様、見送(みおくり)は袋中上人(たいちゅうしょうにん)請来の朝鮮軍旗で、昇龍波濤(しょうりゅうはとう)文様の二枚繋ぎを紅地古金襴安楽庵裂(きんらんあんらくあんきれ)で縁取ったものと、中国明朝の官営工場で織られた金地唐美人園遊図と、それを昭和五十七年復元新調した三種がある。欄縁(らんぶち)の黒漆塗に高浮彫雲龍と輪宝文様の鍍金(ときん)金具は見事である。平成二十年浅葱(あさぎ)色と朱色の飾り房(ふさ)三十本が復元新調された。
 宵山の七月十六日には本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)総本山聖護院(しょうごいん)による護摩焚(ごまだき)が行われる。
             京 都 市
▲上の文は役行者山の山鉾町に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を書き写しています。